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No.17 ワインエキスパート(2008年合格)―椿 まり
2008年うるう年の2月29日、私は突然受験生になってしまった。
その日、麻布十番で宴会中、同席していた知り合いのワインスクール講師から「受験しようよ♪」といきなり持ちかけられ、状況も理解しないまま了解してしまったのである。後から考えると、ワインスクールの受験合格率アップ貢献への計略だったのだろう。
ワイン好きの父の影響で、ずっと以前からワインの香りには親しんでいた。誕生日やクリスマス、お正月の乾杯は必ずワインだった。父は医学関係の仕事をしていたためドイツ出張が多く、家にはドイツワイン中心でストックが常にあった。ドイツ以外のフランスやイタリアワインなどについて体系的にワインを学んでみたいという潜在意識もあり、ただ酔った勢いで承知したつもりの受験話は、実は運命的な出会いだったのかもしれない。
とはいっても、その日飲んでいたララギュンがメドック3級など知る由もない。すぐに私はワインスクール受験クラスに登録し、以降、呆れるほどワイン漬けの日々を送ることになった。受験までわずか半年、他の受験生はすでに基礎を半年学んでおり、明らかに出遅れである。このハンディを克服すべく、①誘われた飲み会はセパージュ勉強のため(と称し)決して断るべからず②暗記のためのダジャレを恥じるべからず③苦痛を感じるような勉強法はするべからず。の3点を実行することにした。①②はともかく、③は記憶力のめっきり衰えた私には必須だった。覚えようとしても、頭に入るどころか跳ね返してしまうため、「覚える」のではなく「覚えてしまう」状況を作りだすことに注力した。簡単に言えば張り紙なのだが、想定以上に効果的だった。例えば洗面所はメドック4級、ダイニングテーブルは5級、キッチンはブルゴーニュの地図にAOCを書き込んだものを張り、オフィスの机にはイタリアDOCG。毎日目にすることで、これらはいつの間にか覚えていた。テイスティング能力向上には、スクール仲間との友情が重要な鍵となった。授業のあとワインバーに繰り出し、数種類のグラスワインをブラインドで供してもらい、回し飲みしながら深夜までああだこうだと評価したものだった。傍目にはただの呑兵衛の薀蓄に見えただろうが、私達は極めて真剣だった。もちろん、楽しく味わいながら。最終的には、授業でのテイスティングを含めると半年で200杯以上、評価したのではないだろうか。この甲斐あって、1次、2次とも首尾よく合格し、念願のバッヂを手にすることが出来た。
振り返ると受験勉強期間は、長くて短く、辛くて楽しい半年だった。ワインの知識と友情を得たことはかけがえのない財産である。ただ、多くのものを得たと同時に少しだけ失ったものもあった。ぶどうのバッヂを手にした日、父の墓前に合格を報告した。そう、ワイン好きの父は受験勉強中の5月29日に突然、逝ってしまったのだ。意識が混濁する中、最期までワインとチーズが欲しい、と父は言っていた。父の棺の中には、天国でもワインがたくさん飲めるように、ありったけのコルクを入れた。ワインが多くの宝物をもたらすことを教えてくれた父に感謝し、資格取得後も、バッヂと知識は常に磨いておこうと誓った。
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